オチのない話

その違和感、わからないでもないです。が、

事前に契約したクライアントのために、クライアントの予算を使って、クライアントの意向に沿ってものを作る人が、なぜクリエイターと呼ばれ、その成果物がクリエイティブと呼ばれるのか、本当に理解に苦しみます。

理由は簡単、その成果物がクリエイティブなものだからです。金の出所はその成果物に一切関係ありません。クライアントの意向が入る?当然です。入っていいんです。それは職人や技師って部類じゃないのって?いえいえ、だとすれば、成果物のすべての要件を仕様書にいれてください。AをインプットしてBを出して下さい、と。要求されることは靴やバッグ、ゲーム機やジュースなどを作るのではないんです。接触する人にこういう気持ちになって欲しい、というクライアントの要望に答えるのが広告制作ですから。

広告と芸術は違う?金もらってるんだから創造者ではない、と。だとしたらパトロンがいたすべての芸術家はクリエイティブのかけらもないんでしょう。ダヴィンチなんて…以下略。

本来クリエイターと呼ぶに恥じない人というのは、誰にも雇われず、誰のためでもなく自己の表現のために作った作品を世に問い、得られた評価に応じた報酬を受け取る人なのではないか、と僕は思うわけです。

たしかに自分の中の定義ってのは大事だと思います。人に押しつけさえしなければ。
アルフォンス・ミュシャの成果物とかはどうとらえたらいいんでしょう。 

まあ、職種をどんな呼称で表現しようと、ましてや自分で何と名乗ろうと、そんなものはそれぞれの勝手ではあると思いますし、そもそも僕自身が「SEOエンジニア」などという飛び切り恥ずかしい呼称を使用していたりもするわけで、他人様の職種の呼称のことなんて言えた義理ではないんですが、ともかく大半の「クリエイター」には違和感を感じてしまう、という話。オチはありません。

いえ、オチてますよ、すばらしく。

コンピュータ関係の構造設計をしていた元エンジニアとしては、SEOエンジニアという使い方はどうしてもなじめません。オチはありませんが。

 

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