娯楽の王様は昔からコミュニケーションです

2015年、テレビは「ニコ動」化する?――NRIが示す未来像
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0802/05/news094.html

を読んで違和感がありました。

正直ここに紹介されているムービーなんてあっけにとられる内容ですし、語られてる内容もいかにもフレームワーク的な思考というか型にはめた感じがするのですが、それよりもなによりひっかかったのが

「娯楽の王様はコンテンツからコミュニケーションに変化している」

かもしれません。私の中では「コンテンツはコミュニケーションのために存在」するものであって、変化するもんじゃないです。

8時だよ全員集合を見て翌日ひょうきん族グループとどっちが面白いか休み時間中に議論したり、ゲーセンに寄ってゼビウスのスペシャルフラッグの場所や攻略方法について情報交換しながら遊んだりしました。

娯楽という視点をもってコンテンツが存在して、コミュニケーションも娯楽という側面があるとして、無理に同列にあつかったとしても、コミュニケーションはコンテンツがなければ発生しないと思うのです。コンテンツが広義すぎる?狭義のコンテンツとしてここではTVを挙げてるんであれば、それは単純にTVがつまらなくなったというだけで、娯楽の王様(っなんだそれ)という話にするには飛躍しすぎると思うのです。

あれ?なんか深読みしすぎ?いえ別にNRIをDISってるわけじゃないんですが、上記違和感って私だけなのかなぁ?

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